我が家にはお小遣いのルールがあります。
1 週の基本給を定める。
2 以下の2点の出来具合を週1回報告プレゼンし、それによって金額が変動する。
(1) 自分のことは自分でする。
(2) お手伝いなどで家族の役に立ったか、わがままとかで困らせたか
そう、
基本給はありつつも、それは変動するのです。
小学4年の長女は基本週150円。
小学2年の次女は基本週100円。
年長さんの三女はなし。
お小遣いの変動性について、ちょっとびっくりだといわれました。
確かに、私の実家では、年齢によって金額が決められていた。
ちなみに私の大学の友人は、奉仕に対しての対価だったと。
洗濯物を畳むと●円。お風呂掃除をすると▲円。って。
海外では、ご近所のお手伝いをしたりして稼ぐということも聞いたりします。
お小遣いをどうするかって、悩みますよね、
ちょうど、お小遣いが欲しい年頃。
お友達と駄菓子屋に行ったりね。
私も昔、よくお母さんの貯金箱から百円もらって駄菓子屋に行きました。笑
悩んんでみて、
私はお小遣いを2つの学びのためのツールに変えたいと思って、ルールを設定しました。
お小遣いの一つの役割は、お金の価値観を学ぶツールです。
お金は、欲しいと言った時にあげるのか?
それは違うなと思っていたので、やっぱり週1回、もしくは月1回のお小遣い制がいい。
そして、固定にするか、変動にするか、完全報酬にするか。
お小遣い制の固定は、ただ日々を過ごせばお金がたまります。
これってちょっと違うくない?
私たちは資本主義・日本に生きています。
頑張って成果を上げると給与が増え、生産性のない人間は、給与の有無より、生き辛い気さえする。
お小遣いでそんなことは体現できない。
ただ、頑張っている人が評価されない世界は、私はちょっと納得いかない。
だからと言って、完全報酬制がいいのか。
そもそもお手伝いよりも、自分のことをちゃんとやったり、やらねばならないことがあるはず。お小遣い稼ぎに必死になり、他が疎かになったら、本末転倒。
だから、生きてるだけで素晴らしいことも加味して、変動性にしました。
お小遣いというツールのもう一つの役割は、いかにモチベーションを上げるかということ。
お小遣いになるって最高のモチベーションでしょ。
子どもからしたら、ガチャガチャできる、欲しいおもちゃ買える、駄菓子屋に行ける。などなど。
だから、なんとしても欲しい!
なんならたくさん欲しい。
そのモチベーションの垂れ流しはもったいない。
中室先生の「学力」の経済学の応用篇みたいなものだと思います。
いかに身近なところににんじんをぶら下げるのか。
そこで、
自分のことを自分ですること。
少し周りの人の役に立つこと = お手伝いに結びつくこと。
この二つを自然にできるようにするためのツールにお小遣いをしようと。
自分のことを自分ですることって当たり前じゃないのか?
よく考えてみてください。
私たちは、赤ちゃんの頃は全て手をかけてやります。
2歳くらいになるとやりたい病が始まる。自分のことは自分でやりたーーーーい。
自分ではできないからかなり手がかかるわけです。
そこでうまくいく!
すると、やり続けてくれるのかもしれません。
でも、私はうまくいかなかったんだな。
だから、例えば、自分で箸を並べる、自分のご飯を食卓へ運ぶ、髪の毛は自分で乾かす、脱いだパジャマは畳む、、、みたいな本来生活する上で必要なことが、実は親がやっています。
そこで、モチベーションお小遣い!
お小遣いは、彼女たちのモチベーションを引き上げます。
お小遣いはお母さんを助け、家族の平和をもたらします。なんて。
ある日、突然に、大きくなったから自分のことは自分でやるようになるわけないんです。
なんなら、自分のことって何かを自覚すらしていないんですよ、本当。
生活するためには、自分のことは自分でできるようになることって大事です。
そして、相手の気持ちに立って考えたり、困っている人を少し助けようとしたりすることを大事にして欲しい。
そうできるようになるためには、やるインセンティブです。
モチベーションがあるから継続できる。
そして、やったら評価を受ける。
すると、またちょっとやる。
だから、自分のことを自分でしたら、評価をする。
家族の役に立ったり、家族が嬉しいなと思うなら、評価をする。
一方で、家族に心配をかけたり、悲しい思いをしたり、誰かに自分のことをしてもらったら、それは、評価が下がる。
そうあるべきだと思うんです。
最初は打算的に始まったことも、自分のことをやり続けていると、自分のことは自分でやるようになります。
自然に身につくようになるまでに、まず大事なことは言葉で言ってもダメで体感すること。でも、まずやってもらおうと説明しても、子どもは頭ではわかったように思っても、理解して行動にはなりません。だからまず理解しなくてもいいからやってみるためのモチベーションが必要。
そして、もう一つは継続すること。人は往々にして反復することって難しいので、モチベーションが必要。
例えば、夕飯の前に箸を並べる。
「お手伝い」だと、気分が乗っている時はやるけど、ほぼやらない。
「え〜〜〜!」、とかいう。
お小遣いを導入してから、もう1年が経ちました。。
「お箸を使うのは自分だから自分のこと。やれば、ちゃんとお小遣いもらえる!」
そうなると、モチベーションが上がる。
それでも子どもだから、日によってやはりやったり、やらなかったり。
そうしている間に、いつの間にかそれが習慣になる。
習慣になったら、それはとても素晴らしい。
あとはお小遣いのためじゃなく、自分のことだからやるようになる。
そして彼女は自分の分をもっていくなら、みんなの持って行ってあげたらいいじゃんと気づくんです。
今は、「みんなの分も持って行こうか!」と、運び、並べてくれます。
箸並べるくらい、何言ってるの?
そう思う人も多いよね、きっと。
そうなんで、我が家は低次元かも。
でもまあ、そんなところからも、一つずつ、乗り越える我が家なんです。
お手伝いも同様だと思うんです。
最初は打算的でも、相手のことを考えてやってあげると、相手が喜ぶ。
お金のためだったのに、褒められたり、喜ばれたりすることも嬉しいなと感じるようになる。
相手のことを考えるトレーニングをしていると、いつしかそういう思考が身につきます。
人への思いやりを持ったり、人にそっと手を差し伸べようと思ったり、それが評価を得ようが得まいが自然体でできるようになる。
先日、お小遣いを渡し終わった瞬間から、躍起にお手伝いの奪い合いをする姉妹を見かけました。 苦笑。
誰しもが想定する。お小遣いをもらった瞬間だけ結構頑張る。
でも翌日はすっかり忘れている。
続かないじゃん、本当に意味あるのか。
そう思うでしょ。
子どもにとって1週間先って遠い。
だから最初は1週間に1回しかモチベーションが上がらないのかもしれない。
でもその週1回を積み上げていくうちに、果てしない時間をかけて、いつしか自然になる。
ちなみに、だから1ヶ月のお小遣い制ではダメなんです。1週間くらいのスパンがいい。
朝の新聞をポストから持ってくることも、1年立った今では、次女のルーチンになりました。
次女は、朝だけじゃなく夕方も、帰ってくるたびにポストを覗き、何かものが入っていれば持ってきてくれます。
彼女は多分お手伝いをしているという感覚はないと思う。1週間の振り返りでそう言わないから。
彼女が持ってきてくれると、私は「ありがとう。とっても助かったわ。」。
ポストのものを運ぶと私が助かり喜ぶから、気づいた時に彼女はポストのものを持ってきて「持ってきたよ」「こんなのは言っていたよ」「私持ってくるよ」と言ってやってくれるんです。
「お母さんが喜ぶからやってる」なんてきっと意識してない。彼女の自然体だから。
そんな彼女たちをみながら、
やはり変動性にして、良かったかもと思っています。
打算的でもいい。
それを繰り返す中で、ちょっとお手伝いが当たり前に変わっていく。
そのために、お小遣いは最高のモチベーションなのです。
ちなみに、彼女たちは学年が上がると、つまり年月が経つとお小遣いが上がります。
それは、自分でやれること、できることが増えるから。
お小遣いは短期的なモチベーション。
やることを、できることが増えるのは、実はそれ自体がとても素晴らしいご褒美。
やっている中で、彼女たちが一番気づいていると思う。
1 週の基本給を定める。
2 以下の2点の出来具合を週1回報告プレゼンし、それによって金額が変動する。
(1) 自分のことは自分でする。
(2) お手伝いなどで家族の役に立ったか、わがままとかで困らせたか
そう、
基本給はありつつも、それは変動するのです。
小学4年の長女は基本週150円。
小学2年の次女は基本週100円。
年長さんの三女はなし。
お小遣いの変動性について、ちょっとびっくりだといわれました。
確かに、私の実家では、年齢によって金額が決められていた。
ちなみに私の大学の友人は、奉仕に対しての対価だったと。
洗濯物を畳むと●円。お風呂掃除をすると▲円。って。
海外では、ご近所のお手伝いをしたりして稼ぐということも聞いたりします。
お小遣いをどうするかって、悩みますよね、
ちょうど、お小遣いが欲しい年頃。
お友達と駄菓子屋に行ったりね。
私も昔、よくお母さんの貯金箱から百円もらって駄菓子屋に行きました。笑
悩んんでみて、
私はお小遣いを2つの学びのためのツールに変えたいと思って、ルールを設定しました。
お小遣いで学ぶ「お金の価値観」
お小遣いの一つの役割は、お金の価値観を学ぶツールです。
お金は、欲しいと言った時にあげるのか?
それは違うなと思っていたので、やっぱり週1回、もしくは月1回のお小遣い制がいい。
そして、固定にするか、変動にするか、完全報酬にするか。
お小遣い制の固定は、ただ日々を過ごせばお金がたまります。
これってちょっと違うくない?
私たちは資本主義・日本に生きています。
頑張って成果を上げると給与が増え、生産性のない人間は、給与の有無より、生き辛い気さえする。
お小遣いでそんなことは体現できない。
ただ、頑張っている人が評価されない世界は、私はちょっと納得いかない。
だからと言って、完全報酬制がいいのか。
そもそもお手伝いよりも、自分のことをちゃんとやったり、やらねばならないことがあるはず。お小遣い稼ぎに必死になり、他が疎かになったら、本末転倒。
だから、生きてるだけで素晴らしいことも加味して、変動性にしました。
お小遣いは「最高のモチベーション」
お小遣いというツールのもう一つの役割は、いかにモチベーションを上げるかということ。
お小遣いになるって最高のモチベーションでしょ。
子どもからしたら、ガチャガチャできる、欲しいおもちゃ買える、駄菓子屋に行ける。などなど。
だから、なんとしても欲しい!
なんならたくさん欲しい。
そのモチベーションの垂れ流しはもったいない。
中室先生の「学力」の経済学の応用篇みたいなものだと思います。
いかに身近なところににんじんをぶら下げるのか。
そこで、
自分のことを自分ですること。
少し周りの人の役に立つこと = お手伝いに結びつくこと。
この二つを自然にできるようにするためのツールにお小遣いをしようと。
自分のことを自分ですることって当たり前じゃないのか?
よく考えてみてください。
私たちは、赤ちゃんの頃は全て手をかけてやります。
2歳くらいになるとやりたい病が始まる。自分のことは自分でやりたーーーーい。
自分ではできないからかなり手がかかるわけです。
そこでうまくいく!
すると、やり続けてくれるのかもしれません。
でも、私はうまくいかなかったんだな。
だから、例えば、自分で箸を並べる、自分のご飯を食卓へ運ぶ、髪の毛は自分で乾かす、脱いだパジャマは畳む、、、みたいな本来生活する上で必要なことが、実は親がやっています。
そこで、モチベーションお小遣い!
お小遣いは、彼女たちのモチベーションを引き上げます。
お小遣いはお母さんを助け、家族の平和をもたらします。なんて。
ある日、突然に、大きくなったから自分のことは自分でやるようになるわけないんです。
なんなら、自分のことって何かを自覚すらしていないんですよ、本当。
生活するためには、自分のことは自分でできるようになることって大事です。
そして、相手の気持ちに立って考えたり、困っている人を少し助けようとしたりすることを大事にして欲しい。
そうできるようになるためには、やるインセンティブです。
モチベーションがあるから継続できる。
そして、やったら評価を受ける。
すると、またちょっとやる。
だから、自分のことを自分でしたら、評価をする。
家族の役に立ったり、家族が嬉しいなと思うなら、評価をする。
一方で、家族に心配をかけたり、悲しい思いをしたり、誰かに自分のことをしてもらったら、それは、評価が下がる。
そうあるべきだと思うんです。
最初は打算的に始まったことも、自分のことをやり続けていると、自分のことは自分でやるようになります。
自然に身につくようになるまでに、まず大事なことは言葉で言ってもダメで体感すること。でも、まずやってもらおうと説明しても、子どもは頭ではわかったように思っても、理解して行動にはなりません。だからまず理解しなくてもいいからやってみるためのモチベーションが必要。
そして、もう一つは継続すること。人は往々にして反復することって難しいので、モチベーションが必要。
例えば、夕飯の前に箸を並べる。
「お手伝い」だと、気分が乗っている時はやるけど、ほぼやらない。
「え〜〜〜!」、とかいう。
お小遣いを導入してから、もう1年が経ちました。。
「お箸を使うのは自分だから自分のこと。やれば、ちゃんとお小遣いもらえる!」
そうなると、モチベーションが上がる。
それでも子どもだから、日によってやはりやったり、やらなかったり。
そうしている間に、いつの間にかそれが習慣になる。
習慣になったら、それはとても素晴らしい。
あとはお小遣いのためじゃなく、自分のことだからやるようになる。
そして彼女は自分の分をもっていくなら、みんなの持って行ってあげたらいいじゃんと気づくんです。
今は、「みんなの分も持って行こうか!」と、運び、並べてくれます。
箸並べるくらい、何言ってるの?
そう思う人も多いよね、きっと。
そうなんで、我が家は低次元かも。
でもまあ、そんなところからも、一つずつ、乗り越える我が家なんです。
お手伝いも同様だと思うんです。
最初は打算的でも、相手のことを考えてやってあげると、相手が喜ぶ。
お金のためだったのに、褒められたり、喜ばれたりすることも嬉しいなと感じるようになる。
相手のことを考えるトレーニングをしていると、いつしかそういう思考が身につきます。
人への思いやりを持ったり、人にそっと手を差し伸べようと思ったり、それが評価を得ようが得まいが自然体でできるようになる。
先日、お小遣いを渡し終わった瞬間から、躍起にお手伝いの奪い合いをする姉妹を見かけました。 苦笑。
誰しもが想定する。お小遣いをもらった瞬間だけ結構頑張る。
でも翌日はすっかり忘れている。
続かないじゃん、本当に意味あるのか。
そう思うでしょ。
子どもにとって1週間先って遠い。
だから最初は1週間に1回しかモチベーションが上がらないのかもしれない。
でもその週1回を積み上げていくうちに、果てしない時間をかけて、いつしか自然になる。
ちなみに、だから1ヶ月のお小遣い制ではダメなんです。1週間くらいのスパンがいい。
朝の新聞をポストから持ってくることも、1年立った今では、次女のルーチンになりました。
次女は、朝だけじゃなく夕方も、帰ってくるたびにポストを覗き、何かものが入っていれば持ってきてくれます。
彼女は多分お手伝いをしているという感覚はないと思う。1週間の振り返りでそう言わないから。
彼女が持ってきてくれると、私は「ありがとう。とっても助かったわ。」。
ポストのものを運ぶと私が助かり喜ぶから、気づいた時に彼女はポストのものを持ってきて「持ってきたよ」「こんなのは言っていたよ」「私持ってくるよ」と言ってやってくれるんです。
「お母さんが喜ぶからやってる」なんてきっと意識してない。彼女の自然体だから。
そんな彼女たちをみながら、
やはり変動性にして、良かったかもと思っています。
打算的でもいい。
それを繰り返す中で、ちょっとお手伝いが当たり前に変わっていく。
そのために、お小遣いは最高のモチベーションなのです。
ちなみに、彼女たちは学年が上がると、つまり年月が経つとお小遣いが上がります。
それは、自分でやれること、できることが増えるから。
お小遣いは短期的なモチベーション。
やることを、できることが増えるのは、実はそれ自体がとても素晴らしいご褒美。
やっている中で、彼女たちが一番気づいていると思う。
コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。