日本での育児は、拒否される。諦めの育児だと私は思う。
先日、長女の卒園式に、2歳三女を連れての参加を拒否された。
これが、今の日本社会の縮図だと私は思う。
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保育園の行事ですら子連れ拒否


「厳粛な式を執り行うため。」
これが2歳が参列できない理由だ。

卒園式の案内に、「小さな子どもの参列はできない」と明記されていた。
しかし、親に預けられないことがわかっていたので、
どうしても預けられないことを伝え、三女同伴での参列をお願いした。
騒ぎだしそうなら、外に出ることも提案した、
いや、窓の向こうから見守るだけいいとも提案した、
ダメだった。
私は参列できないということかと問うても、
とにかく、厳粛な式を執り行うため、参列はできないと。


大前提として、
私は、保育園のおかげで、これまで仕事をしながら、子育てができた。
とてもとても深く感謝をしている。

厳粛に行いたいというのも、子どもたちを一人の人間として、
真摯に向き合いたいという保育園の意図だと思う。
保育園の姿勢には、とてもありがたいと思う。
これは大前提。

私は、岐阜、愛知のベビーシッターを全て当たった。
全てダメだった。
たった一人、知人に頼むことができた。
しかし、当日の朝、
彼女は、トラブルに見舞われ、来なかった。
私は、途方にくれながら、園の前で、三女と一緒に過ごした。
約束の時間から1時間して彼女が到着。
式は中盤に差し掛かり、娘の卒園証書の授与を見ることはできなかった。

保育園で6年半を過ごし、
この日がどんなに感動的か思い描いて来た私にとって、
感動はほとんどなかった。
ただただ、悔しかったなー。

でも、それは、式に出られなかったからだけではない。
すでに、三女の参列を拒否された時点で、
あぁここでもか・・・という深い失望があった。

小さな子どもは常に拒否をされる。
小さな子どもの子育ては、常に社会から排除を求められ、
そして、いろんなことを諦めなければならない連続だ。

保育園ですら、そうなんだから。


男女共同参画の表彰ですら、最初は拒否


そう、2015年、
男女共同参画「女性のチャレンジ支援賞」の表彰を受けたときも、
最初は、三女(当時7ヶ月)の娘の参加を拒否された。

理由は、「厳粛に進めたいから」w

忙しい総理が出る式は、1分1秒も狂わせることはできない。
だから、
赤ちゃんが泣いたら、進行が止まるから、ダメだと。
市町村から県に、県から国にと、本当に無理を承知で、
でもこれは曲げられないと、何度かごねてもらった。
最後は、式が始まったら会場から退出してくださいとなった。

で、
連れて行きました。

そしたら、男女共同参画を進めてきた皆さんが出席する式。
場が許さなかった。
内閣府の職員が
「そろそろ始まるから出てください」と言った瞬間、
周りの人たちの空気が凍りました。
何言ってんだ?!・・・って、そんな空気。
「いればいいじゃない」
「泣いたら立ってあやしなさい」
「出なくてもいいわよ。泣いたって誰も気にしないわ」
「赤ちゃんが泣くのは当たり前!」
彼女たちはそう私に声をかけました。

その瞬間、
その職員の上司は、彼女を引き下げさせた。

そして、
私は、見事、娘を抱いて、授賞式に出ることができた。
もちろん、
彼女は、泣くことも、ぐずることもしませんでした。
大人しく、起きて、この授賞式を見守っていてくれました。
そして、
総理は、娘に手をさしのべました。
首相官邸


そして、
その後のパーティーで、
「中学生の子どもが参加をすることも拒否された。
 赤ちゃんが入れたことがとっても嬉しい。」
と、先輩起業家さんに声をかけてもらいました。

あぁそうか、こういう姿で、
勇気を持ってくれる人がいる。
道が開けることもあるんだと思った。


働いていたって、子どもファーストも諦めない社会


例えば、病児保育でも、
本来なら、休めるのがベストシナリオだと私は思う。
子どもが熱などが出て辛い時に、
いつもと違う、知らない場所に預けられるのではなく、
一番一緒にいてほしいお母さんがいてくれることが
子どもは幸せなんじゃないかと思う。
そして、
私はそうありたいと思う。
そして、
いずれ、そういう社会になってほしいと思う。


子どもが小学校一年生になる。
本来なら早く帰宅するのを、
働いているから帰宅せず学童で過ごしてもらう。
でも本当は、慣れない学校生活に、慣れない学童で、
18時や19時まで過ごしてもらうのは、
確かにやり過ごせるけど、ちょっと不憫。

本来は、やっぱり子どもにちょっと寄り添ってあげられるのがいい。
学校に慣れるまでの間、学童に慣れるまでの間、
あたらいし生活に慣れるまでのちょっとの間、
少し一緒にいてやれればそれでいい。
今は社会が許さない。
いずれそういう社会になってほしいと思う。


そう、
今はどちらもそうできない。
そういうところに、母親は悩み、そして行き詰まる。
だから、
障害を乗り越えられず、
仕事を断念して、子育てを選んだりするんだと思う。


仕事も子育ても諦めたくないじゃん


一方で、案外に受け入れてくれる現場もある。

偉い方々の場でもそう。
知事の出る会議、市長の出る会議、そして政務官との打ち合わせなどなど。
「子ども同伴で」と伝えると、
皆さん、快諾してくれ、そして気遣ってまでくれる。

一日仕事に、やはり子どもを連れて行くのは、
子どもにとっても、窮屈で、心労をかけると思う。
自分も集中できない。
だから、小さいうちは一緒にいた方がいいという社会の圧力にも、
小さいうちは一緒にいたいという思いにも、
私は子どもを傍らに置くというワークスタイルを選択できないと思った。
その反面、
もちろん大事な仕事をこなすという大前提のもと、
1、2時間ならぐずらないと踏んで、段取りし、
子どもを連れて、仕事に出る。


子どもが病気の時は、なるべく休むようにした。
会議や打ち合わせが入っていれば、頭を下げて休んだ。
どう思われたかはわからない。
でも、
私には、誰もが、快諾してくれたように感じた。
仕事を干されることはなかった。


病気の時に仕事を休むことも、
子どもを連れて会議に出かけることも、
今の会社員には、多分できない。
でも、
自由業の私ならできる。

私は欲望の赴くままにやっているだけ。
だって、子育ても、仕事も諦めたくないじゃない。
子どもを言い訳に、社会を言い訳に、
いろんなことを諦めたくないじゃない。
働いているお母さんだって、
子どもにとって、一番幸せなことをしてあげたい。
まさに働いていても、子どもファーストでいられる、
そんなスタイルを目指したい。

そして、そして、
影響力もない私がそんなことをしたって、全く無力だけど、
時に希望を持ってくれる人もいるし、
そして、
いつか、そんなスタイルが許容される社会への投げかけの一旦になるといい。
いろんな価値観が許容される社会になればいい。


子育てはたくさんの諦めで成り立つ


子どもを産み、育て出すと、いろんなことを諦めなくてはいけない。

確かに、
子どもが騒ぐことで、場が壊れることを嫌うオーナーも、客もいる。
ビジネスとして、ターゲットを絞ることもよくわかる。

しかしながら、
どんな場面でも、各所で子どもは嫌がられる。
例えば、電車に乗ることすら、はばかられ、ビクビクして乗る。
だから、
出ることを諦めることもある。

24時間戦士でなくなった子育て母は、
仕事、キャリアを諦める。
仕事を諦めたくない場合は、ベビーシッターなどを使って
時間をかけた子育てを諦める。
または、
子どもを産むこと自体、諦める。

保育園には入れない社会は、
住む場所を諦めるか、仕事を諦める選択を迫られる。

・・・

子どもとの人生は、何にもかえられないと私は思う。
子どもがいることで、私は自分の人生がより幸せに、豊かになったと思う。
いろんなことを選択できなくても、
いろんな選択を変えたとしても、
私は、子どもといる人生を選んだことを後悔していない。

しかしながら、
いろんなことを諦め続ける子育ての現実に、
きっとこんなに諦めるなら、子育てをやめたいと思う人もいる。

子どもがいることで、
いろんな局面を諦める、悔しい思いをする、
特に小さな子どもを連れていると。
そうすると、子どもさえいなければと思う人もいるかもしれない。
子どもがいることを後悔する。

3人もいれば、
その状態がずっと続く。
そう、今回のように、
上の子どもの行事ですら、諦めねばならない。
そうすると、
とりあえず一人目はなんとか我慢できても、子どもを複数産むのはやめておこうと思う。

小さな子を連れて生きることは、
この日本社会では辛い。


子育てが悔しい日本にさらばを。


まあ、そういう、きっちり働くけど、子どもファーストでいたい、
そんな価値観の中で生きてきた私にとって、
今回の卒園式への子連れ参列拒否は、もういたたまれなかった。

自分の子育て人生を全否定されたみたいな。

悔しいね、お母さん。
3人産んだから、こういう目にあったんだ。
そう3人もいなければ、こんな目に遭わなかったでしょ。
って、
そう思う日本、悔しいじゃん。


子育てをして、何かを常に諦め、
悔しい思いや悲しい思いをし続ける。
そういうことが減るといい。
そんな日本社会じゃなくなることを祈りたい。

子どもを育てられることは幸せなこと。
私は彼女たちを育てる中で、
たくさんの成長をさせてもらいました。
そして、これまで見ることができなかったたくさんの世界を教えてもらいました。
だから、こんなことがあったって、
いろんなことを諦めたって、
決して3人産んだことを後悔していません。

でもね、
少しでも、その諦めたりすることが減るなら、
もっと社会が彼女たちが育つことを歓迎してくれるなら、
もっと嬉しい。
もっと幸せ。

だから、
私は戦う。
世の中のこれまでの「常識」に、ただ従うのじゃなく、
おかしいことにはおかしいと言い、
そして、戦いたい。

子育ても、満足いくように、
仕事も、しっかり成果出し、満足いくように、
本来一番いいと思えるワークライフスタイルを、試行錯誤したい。


みんなが、
子育てしながら、仕事することが、ワクワクするように。
それなら、できるかもって思えるように。
それならしてみたいかもって思えるように。
それが今私が他のみんなよりもできること。
だからそれが私の使命です。

子どもを育てることを、
悲しんだり、後悔したり、辛く思ったりする日本社会じゃなくなるように。