先日のNHK「あさイチ」、ARのお話を取り上げていました。

AR(拡張現実)
拡張現実(かくちょうげんじつ、英: Augmented Reality、AR)とは、人が知覚する現実環境をコンピュータにより拡張する技術、およびコンピュータにより拡張された現実環境そのものを指す言葉。
(Wikipediaより)


スマホやタブレットをつかって、絵が動き出す!みたいな特集。
いやー、これは本当にすごいと思います。
先日も友人のお家でも見せてもらったんです。
正直、子どもと一緒にやってみたいな、楽しいだろうなと思いました。

でも、いざっ!と思うと、結局ためらっちゃうんですよね。
きっと、子どもは夢中になるし、やりたいっていうし、感動すると思う。
とっても楽しいと思うんです。

でも、一度やると、ずっとやりたがる。
特集のVTRでも、 「子どもが、早く帰ってこれやろう!っていうんだ」って嬉しそうにコメントする一幕がありました。


タブレットやスマホはどう使うべきか?


そもそも私はスマホもタブレットも含め、子どもに対しての与え方、使い方に少し戸惑いがあります。

決して悪い物ではないし、全く使わない訳でもない。
今でも、子どもが保育園で歌っている歌とかを探して、見せたりもする。
飛行機などを使った遠距離の移動の際、他のお客さんに迷惑をかけないように、動画を見せた事もあります。

一人目がまだ乳児の時なんかは、
特段深く考える事なく、赤ちゃん用のアプリとかを積極的にダウンロードして、見せたりしながら、便利に使ってました。
泣き止んだりするし、これは重宝するなぁ!!
すごいすごい!!って。

でも、ある時、 娘がiPhoneやiPadを強く要求することが気になったんですよ。
そして、1時間でも2時間でも、ずっと画面を眺めている状況に、はたと気付いた時、驚愕しました。

彼女たちはセーブしたり、良し悪しの判断基準がない中で、これを使わせ続けて良いものなのか・・・。
依存させて良いものなのか・・・と。


効率的に上手く使えればいいのか?大切にしたい事


私も比較的パソコンに向かっている仕事ですし、時間があればスマホを眺める生活。
ブログだって、こうしてスマホで書くわけです。
一日終わって、目が疲れていることがよくわかる。
スマホへの情報が気になって、なくてはならない依存になっていることもしばしばあります。

幼い子どもがそれでよいのか?

ちなみに、私は正直、ゲーム端末には悲観的です。

じゃあ、スマホって、ゲーム端末と何が違うのか?
と、よく考えることがあります。

正直、違わない。
私から見たら、どちらも同じにみえちゃうんですよね。

街中で、ふと、子どもがどこへいくでもゲーム端末を持って、どこでもここでも歩きながらでもやってるのを見かけたりします。
家族でご飯を食べに来ていても、会話しないみたいなのを見るとうんざりするんです。

そんなにゲームって大切だろうか?
そんなにゲームに支配される人生でよいのだろうか?
これって、健全だろうか?

じゃあ、中身の問題か?
やっているゲームが教育系のものなら、良いのか?
と言われると、私はそれもちょっと違うじゃないかなーって気がしています。

いや、この世の中、確かに効率的にうまく使うべきだとも思います。
例えば、同年代の子どもで、タブレットを使ってひらがなを覚えたよ、とか、英語を話せるんだよ、なんて話を聞くと、そういう使い方もしてみたいよねと確かに思うんです。

決して全てのゲームがダメとか、やってると人間がダメになるとか、そんなに極端なことは思っていません。

ただ、 世の中、楽しいことは、こんな小さな画面以外のところにある。
そう思うんです。

もっと視野を広げてほしい。
もっといろんなものに興味を持ってほしい。
もっといろんな物に触れてほしい。
もっと直接ある、目の前にある物を見て、触れて、感じてほしい。考えてほしい。

だから、
そのスマホありき、ネットの情報ありきの世界になるかもしれないって、どうなのかな?と悩むんです。


来るべきして来た時に、使い方を自分で考える


そこで、割り切って、今はあまり見せない、使わせない事にしています。
スマホやタブレットは、早くから当たり前にしなくったって、やらせなくったって、この時代の流れから、いつかはやるようになるし、やらざるを得なくなるんです。
なら、使わなくてもいい時期は使わなくてもいい。
彼女たちが適正に使えるようになった時に与えるようにした方がいいのではないかと思うのです。

そして、使うタイミングが来たら、この端末の可能性と危険を伝えた上で、一緒に使い方を考え、一緒にルールを決め、使ってもらう。
それを私は大切にしたいなと思うんです。
当たり前じゃなく、自分で考え、選び、決めるというか。


もしかすると、幼いうちから使ううちに、そんな事も踏まえて使うようになるのかもしれません。
もしかすると、今、彼女たちにとって、スマホやタブレットは、たまにしか使えないから貴重な存在で、当たり前の物であれば、他のオモチャと同様の選択肢になるし、そんなに没頭する事もないのかもかもしれません。
もしかすると、スマホやタブレットを使うことで、もっと彼女たちの可能性や世界は伸びたり、広がったりするかもしれませんねぇ。

でも彼女たちの今は今しかない訳で。
その「今」、いろんな物を吸収できる「今」をどう大切に過ごしてもらうのかは、ちゃんと向き合いたいなあと思うんです。

答えはなかなか出ません。
でも、その場その場で、悩みながらも、彼女たちに取って一番良さそうな道を選択して行きたいなあと思うんです。


ARの特集を見ながら、そんなことをふと思い、
ふと、「親」って、子どもの事を思って些細な事でも本当にいろいろ悩んでいるんだなあと思うんです。
子育てって奥が深い。答えのある物じゃない。
そして、私の親もそう育ててくれたんだと思うと、子ども時分には分からなくて理不尽に思ったりすることもありましたが、いや、本当に感謝感謝ですね。

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