私  今日は宿題をやる?やらない?
娘  やる。
私  はーい。じゃあ、いつやるの?
娘  あとで。
私  あと何分?何時から?
娘  あと10分後から!


家に帰った時の、
私と子どもたちのやりとり。


私が大事にしているのは、
やるのか、やらないのかは、自分たちで決めてもらうこと。


「やる!」
という日もあれば、
「やらない!」
という日もある。




やらされる宿題よりも、
自らやる宿題に価値がある気がして、
自分の意思で決めてもらうことにしています。



未知への子どもたちの大前提


本来、
子どもたちは、
できないことができるようになる、
知らないことがわかるようになる、
と言うモチベーションはとても高いと、
私は思っています。

そして、
そうできるようになるための集中力・執着力はとても高い。



そもそも「宿題」って、当たり前?


あの立てこもり事件から、約1年半。
 > 小一、立てこもり事件
   http://takashima.blog.jp/archives/54781974.html


私は、
「宿題」の本質に向き合うようになりました。


宿題って、私の人生では、
「やるのが当たり前」ってされてきたし、
自分もやらなきゃならないものだって思って生きてきました。


だけど、
本当にそうだろうか。


やるのが、本当に当たり前?


よく目を見開いてみると、
海外では宿題はない、
宿題はやらなくても学力は落ちない、
みたいな情報が目にとまったりもする。


そもそも宿題って、何?



大事なことは、
わからないことがわかるようになること。
できないことができるようになること。


ただそれだけ。

だから、宿題は手段。
できないことを反復練習するために宿題がある。
もしくは、
スムーズに授業を理解できるようにするために
予習=準備があったりする。


できないことができるようになる。
それは、ワクワクすることでもあり、
できないことをやるんだから、
多少は困難があるかもしれない。
でも、
苦痛であってはいけない。
イヤイヤじゃいけない。
学ぶこと、勉強することが嫌いになってはいけない。

そうだとしたら、
強制される宿題は、本末転倒になってしまう。
強制してやる宿題に、あまり価値はないんじゃないかって思ったんです。




宿題は彼女にとって必要不可欠か?


では、
今彼女に出されている宿題は、
できないことなんだろうか?
反復練習が必要なことなんだろうか?


答えは、「YES」であり、「NO」でもある


確かに、彼女が苦手なことも出ている。

そう、
宿題は個々人にカスタマイズされていない。
できる子もできない子も、
みーんな同じ宿題が与えられている。


本来は、
理解度も、
得意不得意も、
みんなみんな違うはず。
なのにね。


彼女がやる価値を見出せないものを、
やりなさいというのは、
私も納得できる説明も、
彼女に達成感を感じさせる自信も、
彼女に自信をつけさせるステップにすることも、
できないなーと思うわけです。


私の宿題へのスタンス


だから、

私の答えは、
「宿題はやらなくていい。」

できないことはやれるように努力する。
やれることはやらなくていい。


これが私のスタンス。


彼女たちに常々伝えている、宿題の意味は2つ。

わかるのか、わからないのかのチェックでもある。
だから、やってみることが大事。
わかると思っていたことが、
実はやってみたら、
わかっていなかったってこともあるかもしれないよね?
そして、
できないことをできるようにするための練習。
だから、
一度やってみて、できるところはやらなくていい。
できないことを練習する。
出されたものが全てじゃない。
できないことがあれば、
出されていなくても、やれるといい。


どのくらい理解できているかわからないけど、
とにかく、常に言い続ける。
そして、
自分で判断をしてもらう。



子どもだって人間だもの。


そしてね、
とても大事だなと思うことは、気分。

モチベーションを左右するのよ。


子どもにも、
憂鬱な日もあれば、
学びたい意欲に満ち溢れている日もある。
凹んだ日もあれば、
自信がある日もある。


大人にだって、
気分があって、
目一杯頑張れる日と、
ちょっと休みたい日、
そっとしておいて欲しい日もある。


それは、
大人も子どもも、やっぱり一緒だと私は思うんですよね。


秩序が乱れると全体の学力が不安定になる


でもね、
これはね、ちょっと夫婦で意見が違います。


私の意見。

 宿題は、最適化されていないから、やらなくてもいいのでは?


これに対して、
夫の主張はこう。

 そもそも宿題を一人一人最適化することは大変なコストがかかる。
 今の仕組みでは、そんな膨大なコストを払えない。
 だから、
 中間をとる。
 多数ができることは宿題として出ない。
 多数ができないことを宿題として出す。
 でも、
 できるからやらないと言う人がいうと、秩序が乱れる。
 統制が取れなくなる。
 だから、
 ちゃんと宿題をやることが大事。


めっちゃバランス感ある!
そして、
このバランス感溢れる夫は、こうも続けます。


 この国が大多数の人が読み書きができる。
 その状況にしているのはやはり今の教育のおかげだし、
 そこへの評価はあるべきだ。


この意見は、納得をします。
学校に行けないなどの社会課題は一部あるにせよ、
多くがある一定の学力を備えられていることは確か。
だから、
一定の学力が担える場が、不安定になることは、
避けなければなりません。

それは全ての人にとって、不利益です。
つまり、翻って、
自分の子どもにとっても不利益になる。


将来、どんな人になりたいの?


また、
ある教育者にこう言われたことがあります。

 社会に出ると、理不尽で、意味もないことをやらされることがたくさんある。
 でもやらないといけない。
 だから、宿題に意味はないかもしれないけど、
 社会に出た時に、
 意味もないけどやらないといけないことをやるための訓練なんですよ。


一理あると思いました。

でも、違和感が残る。


ん〜、
私はいやだな。無意味なことはやらない人生がいいな〜。って。
だって、
人生、80年か100年で終わってしまう。
小学校は6年間しかない。
仕事ができるのは、数十年。
しかも、バリバリに働ける時期って、どのくらいよって感じです。

無意味なことをやることが多くの社会なら、
やらなくてもいい人生を歩んだらいい。
無駄なことはあるかもしれないけど、
それに、ちゃんと意味づけができればいいなって。



楽しく、自発的に取り組むことを大事にする


最近、
3年生になった長女は、
「先生が厳しいから、やっていくー」と、
毎日、しっかりやっています。

次女は、
「もう2つもやっちゃったわ!!」
先までやっています。
楽しくて仕方がない1年生。



宿題ってね、
学校の先生たちが、
「やるのが当たり前だ」と、意識づけています。
そこへ、
家でまで、やれやれやれやれ言わなくてもいい。
そう、私は考えました。


それもまた、本人たちの選択。
私は尊重します。
もちろん、彼女たちが、
勉強をしたいと思える環境を整えるのは、
私たち親の役割。


今出ている宿題、
そして本当にやったほうがいい勉強、
何が彼女に大事なのか?

そう考えることは、向き合わなきゃいけなくて、
少し手間がかかること。

でも、それが学校じゃなく、
親ができる価値かなって思う。

そこで構築される、
お互いの充実感や信頼感は、なかなか良いもの。



そんなこともひっくるめて、
「学びとは、勉強とは、楽しい」

彼女たちが、そういう感じて、育ってくれるといいな。


試行錯誤の日々は、まだまだ続きます v

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