先日の小室氏の引退会見の全文を読みながら、
私も多くの人と同様に、なんとも言えない気分でいます。

いくつもの問題が重なって、後押しされた引退の決断。

しかし、その一つ、
多くの方が取り上げているように、
この「介護」の課題において、
やはり、日本が変わるきっかけにしなくちゃと強く思うのです。


全て自分でやる美徳という呪縛


献身的な介護、
過保護な育児、
丁寧な暮らし、が喜ばれる。


献身的。
そう、心身ともに捧げることが求められる。


 介護は、家族が全て自分でやるべき
 育児は、家族が全て自分でやるべき
 家事は、女性が丁寧にするべき
 ・・・

「時間をかけて、『自分』でやることが美徳。
 アウトソーシングするのはかわいそう、ダメな人。」
という呪縛が、
人を縛り、
人を壊し、
社会の閉塞感を生み出し、
社会の経済を破壊していく。

なぜ、アウトソーシングがダメなのか?
なぜ、自分でやることがそんなにもエライのか?

得意不得意は、関係ないのか?

本当に?
自問自答してみるんです。

不得意な身内に怒りながらやってもらうのと、
得意な他人にテキパキやってもらうのと、
さて、そのサービスを助ける本人は、本当にどちらが幸せか?

仕事を辞めて、生活保護を受けてでも、
不得意な介護を自分でやる方が、
本人にとって、介護を受ける人にとって、社会にとって、
本当にいいのか?
一方で、
仕事を続け、自力でちゃんと生活できる基盤をもち、
プロに介護をしてもらう方が、
本人にとって、介護を受ける人にとって、社会にとって、
本当にいいのか?

なんだか目の前の「良さそうな」美徳の固定概念に縛られて、
「本当に良いこと」
「本当に本人の為になること」
「本当の得」
を、見失ってないでしょうか?


知らず知らずのうちに身についてしまった価値観。


私は、この「自分全部やる」美徳が、
みんなを縛り付け、
誤った選択に導いていると思っています。

介護や育児をする人に対して、
いろんな人が温かい言葉を投げかけてくれます。
「大変そうね、頼ってね」とか。
でも、結局、
我が身に降りかかった時、
なんでも丁寧に自分でやることが美徳という感覚を
持っている専業主婦に育てられた日本人にとって、
できるだけ、全部自分でなんでもしなくちゃという強迫観念がある。
知らず知らずのうちに身についてしまった価値観だと思うんです。

そして、「頼ってね」とは口にしてくれるのに、
じゃあ他人であるプロに任せるとなった時の、周りの目や圧力のハンパなさ。


例えば、
長女を保育園に預ける時はとても葛藤がありました。
そんな思いは関係なく、言われました。
「そんな小さな子を預けて、可哀想に。。。」


ある時、女性経営者の女性活躍を推進する集まりに対して、
専業主婦の方にこうも言われました。
「子育ては保育園がしてくれてるんでしょ。
 自分でしていないのに、
 そんな人たちが集まったって、女性活躍なんて考えられないじゃない。」


そう、この感覚です。
保育園ですら、こうです。
ベビーシッターにはたどり着けません。


自力でやらないと、ダメ人間扱い。
家族がやらないと、かわいそう扱い。


保育園に預けられるのは可哀想という呪縛


我が家の場合、
長女は、3ヶ月半から、
次女は、4ヶ月半から、
三女は、5ヶ月から、保育園に通っています。


様々な声を聞く中で、
私が、1人目を出産した時、
とてもお世話になっていた大企業の部長に言われました。


 保育園預けるのは、とっても素晴らしいじゃない。
 だって、彼女らは保育の勉強をしてきた、保育のプロだよ。
 あなたは保育の勉強はしていないでしょ。
 プロに日中見てもらうことは、
 彼女(=長女)にとって、とっても良い選択だね。

って。

確かにそうなんです。
私は、母親ではありますが、保育の勉強をしたことはありません。
頼るのは、育児書かネットの情報。
いつも独学で、手探りです。

そう、
今朝も、車の中で喧嘩し、不機嫌になりながら出かけた三女は、
保育園に着いた途端、先生にあやされ、天才ね〜と褒められ、
キャッキャキャッキャと、
私に別れを告げるのも忘れて、全身で楽しんでいました。
それでイイんです、母は。
朝出かけるまで、そして、帰ってから寝るまで、
寝てからの夜泣きには、
みっちり向き合いますから。
でも日中は、ここで、プロの保育士に見守られ、
好きなことをして、友達と自分の世界を作って、
全身で遊びまくる。
砂遊びだって、マット遊びだって、ブランコだって、プールだって、
枝集めだって、昆虫観察だって、お絵かきだって、、、、
汚れるとか、飽きたとか、時間がないとか、
大人の都合に振り回されることなく、過ごせる。
彼女にとって、この場は楽園です。


家族の負担はかなりしれないからこそ、介護は介護のプロに。


認知症専門デイサービスのあおぞらの代表・兵藤さんは言います。
「家族は彼らを背負っているだけでも大変。
 だから、介護はプロに任せてくれればイイ。」
 >デイサービスあおぞら http://aozora-day.com/


 家族の精神的苦労は計り知れない。
 理屈じゃなく、
 悔しいとか、寂しいとか、その人への感情だってある。
 その上に身体的な疲労まで追うことはない。
 他人でもやれることはプロがしたらいい。


私は、ここ数年、認知症になった祖母の介護をしてきた伯母を見てきました。
祖母の不可解な言動に、しばしばイライラすることも見てきました。
毎日のように、語尾が強まる場面を見てきました。
でも、伯母は一生懸命に献身的に介護をしていました。
その姿勢に、とても頭が下がります。


そんな伯母がある時、漏らしたんです。

 お母ちゃん、こんなこともできなくなって、悔しいよ。
 お母ちゃん、こんなこともわからなくなっちゃったんだよ。


できたことができなくなる、
いろんなことがわからなくなる、
急に殴ってくる、
急に怒ってくる、
鏡の中の自分と喧嘩する、
日本語すら出てこなくなる、
親なのに頼ることすらできない、
、、、
肉体的な疲労以上に、
彼女は、精神的に大きな負担を背負っていたんです。


「丁寧な暮らし」と言う呪縛


「丁寧な暮らし」がもてはやされる現代。

家事もそう。
自分でなんでも1からやることが美徳とされる。

ちょうど、こんな記事をタイムラインで見つけました。
『他国と比べ手間かけすぎ!「食事の支度もラクすべし」と専門家』(女性自身)
 > http://blogos.com/article/272042/

フランスでは朝ご飯はカフェオレとクロワッサン。スウェーデンではヨーグルトにジャム、チーズとハムを並べるくらい。朝から熱を通すものは食べません。火を使うのはコーヒーくらい。・・・


安堵する私 w
我が家の朝食タイムは、まるでフランスにいるみたいだ!!


「2つ目は、日本人が求める家事のレベルが高すぎること。海外と比べて、『完璧にやらないと』という意識が強く、手間をかけすぎる傾向にあります」

とくに「日本は料理に手間をかけすぎる」と佐光さん


なんでも、手作りするのが素晴らしい。
時短は手抜きだ。
味噌だって自分で一から作る人リスペクト。
野菜だって、家で作っちゃうか。
保育園の入園グッズはハンドメイドで。
洗濯物は、お日様に干す方がいい。
布団は毎日干した方がいい。
・・・

丁寧に時間をかけて、自分でやる人はエラい!!

フェイスブックやインスタには、自分でやったアピールが満載。
自分もちゃんとやってることをアピールしないと・・・と焦る私。

でも本当に?
それに何時間費やすの?
それ、いくらかかるの?
買ってきたらいくらなの?
どっちが美味しいの?
どっちが上手なの?
その時間で、自分は何時間稼げるの?
その時間で、子どもにもっと向き合うことができるんじゃないの?


みんなが幸せを感じるパフォーマンスを引き出せる選択をする


いつでも確かめた方がいいと思うんです。
 「それって本当に正しいのか?」


不得意な料理に手間をかけるお金と時間を使ったら、
めっちゃ美味しいものが出来上がるのか?
いや、本当は、その分を働いて、買ってきた美味しい料理を食べた方が、
本当はストレスもなくて、
子どもたちもいっぱいご飯を食べてくれるんじゃないか?
子どもたちにその時間、本を読んでやることができるんじゃないか?

不得意な裁縫に時間と生地を大量に使って、
うまくいかなくて、ストレス溜めて、出来上がったものは、本当に最高か?
本当に子どもはそっちを喜ぶのか?


なんでも丁寧にやればいいのか。
投入できる時間もコストも限りがある。
仕事に置き換えてみると、
時間をかけて丁寧にやることでは評価されない。
投入コスト、時間を鑑みて、最高のパフォーマンスを引き出すために、
誰がどこをやるのか、アウトソーシングするのかを決めるじゃないですか。
介護、育児、家事だって、同じはず。


改めて、
仕事やめて、
介護、育児、家事に束縛される。

それは本当にいいことなのか?
それは本当に家族全員にとって、最高の利益をもたらすのか?
最高の幸福をもたらすのか?


子どもも母親も、
介護される側も介護する側も、
10年後、20年後、
どっちが幸せな記憶になるのか。
悔やまないのか。


一から自分でやるのが「良さそう」ではなく、
本当に「良いこと」、
本当に「得すること」、
本当に「大事にしたいこと」って何なのか?
それが大事だと思う。


今、変える時。


こんなに大きな衝撃を与えてくれたこのタイミングで、
今だからこそ、勇気を持って、
この自分でなんでも一からやることが美徳と捉える感覚を、
今、私たちが変えねばならない時だと、思うんです。

いくら制度が変わったって、
人の意識が変わり、浸透しなければ意味がない。
一人一人の感覚が変わらないと、
社会は変わっていかない。

自分一人だけ変わっても、
社会全体の意識が変わらないと、変わらない。
こそこそと陰口を叩かれることに耐えられなくなって、
誤った判断をしてしまうんです。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない。」
いや、この問題は青信号だけどね。
でも青信号の時に、
ビュンビュン車が走ってくると、一人じゃ渡れないじゃない。


だから、みんなで一斉に変わりましょうよ。


介護サービスを利用する人が、
保育サービスを利用する人が、
後ろめたい思いを捨てて、
堂々と過ごし始めたら良いと思う。

自分で何もかもやって、
イライラするより、
病むより、
鬱になるより、
生活保護受けるより、
虐待するより、
殺しちゃうより、
自殺するよりも、
プロに預けて、
自分はちゃんと仕事して、
人間らしい生活を送って、
少しでも心に余裕を持って、笑って過ごせた方いい。


時間をかけて自力ですることを否定はしない、
でも、
時間をかけて自分でなんでもやることが決して良いことじゃない。
不得意なことはプロに任せ、自分は得意なことで役に立つ。
みんなが幸せを感じる結果をうむための判断をする人がすごいんだって。
そういう感覚に変わる時。

思うんです、
自分が苦しむのはいやだ、
でももっといやなのは、娘たちが苦しむこと。
娘たちも、同じように苦しむ未来を踏襲してはいけない。
そう、強く思ってます。


今こそ、
全て自分の手でやる美徳を捨てよう!


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