先週から、連絡がとりづらく、また仕事も遅れており、申し訳ありませんでした。
父のように慕った伯父がなくなり、ちょうど2週間が経ちました。
今日、二、七日が終わりました。
1週間前にようやく自宅に戻り、そして今週は風邪でダウンです。
・・・情けない。
なんだかこの1週間は、体調が悪かったこともあり、仕事も含めて、いろんなことが手につかずでした

そろそろ気持ちを切り替えて、復帰します。

しかし、たぶん、私はまだ実感がないのです。
なので、しっかり振り返って、復活したいと思っています。


結婚式から始まる


先週末は、妹の結婚式でした。
家族みんなで待ちに待った一日。
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妹とは、幼い頃からよく喧嘩もしたし、今は私の無理難題にだいたい応えてくれる、まぁまぁ仲の良い妹です。

そう、
彼女との思い出といえば、保育園最後の年、地区対抗のリレー。
私は年長、彼女は年少さん。
しょっぱなから靴が脱げた妹は、あろうことかケンケンをして脱げた靴を取りに戻りました w
いや、全く意味がわからず、開いた口がふさがらないってこのこと。
宴会のいいネタですw

娘たちも、指折り数えて、楽しみにしてましたー。
披露宴は、学生時代にお世話になった方のご出席も多く、宴会のような楽しい宴!
久しぶりに杯を明かす感覚に出会いました^ ^

そして、その宴の最中、伯父が亡くなりました。
妹の花嫁衣装を見て、安心したのかな。
あんなに楽しみにしていたあの楽しい宴、きっといたら一緒に肩組んで杯をあかして、喜んだだろうなぁと思うと、病院から飛んで行きたかったのかもしれないなと。


伯父がなくなりました・・・


末期癌と診断されてから約半年。
余命3ヶ月もないんじゃないかと言われる中で、比較的最後まで元気に過ごし、最後まで結婚式に行くんだと意気込んでました。

ちょうど、亡くなる2週間くらい前くらい前から、少し食べられないんだって言い始めました。
そして、薬が飲めないと言って、亡くなる数日前に入院。
前日まで、自分で薬を飲み、比較的元気だったようです。
私も、薬の調整程度だと聞いていました。
だから、週末に会いに行こう、そう面会を伸ばしたことを後悔しています。
伯母は、その前夜、妹の結婚式のために、そして認知症が進んだ祖母のために帰宅したことを後悔していました。
でも、誰も彼女を責められない。
だって、誰だってそうするでしょ。後悔してもしようがないんです。
その晩、少し様子が変わり、飲み薬が点滴に変わったそうです。
伯父は、夜が明けて、花嫁衣装を着た妹を見、そして写真を撮りました。

あとから写真を見せてもらいました。
その顔はいつもの伯父とは違う。

すでに彼は、朦朧とし、そして意識もはっきりしていなかったようです。
誰もそのことをはっきりとは言いませんが。

そして、
伯母は結婚式に出席をしてくれました。
そんなことも知らず、なんの不安も持たずに私は、結婚式に出席をしました。

そして伯父は、昼頃、ふと、
「やり残したことがある。香織の結婚式に出るんだ!」
そう言ったそうです。
お姉さんが、「来てくれたじゃない」と、写真を見せると、
「ああ、そうだったか」
と、納得し、そして容態が急変。
亡くなったそうです。


そんな話を聞いてみると、
伯父は、妹の結婚式があったから、ここまで元気で過ごしてきたんでしょうね。
彼の生きる目標だった。
最後の最後まで、少しだけでも行けないかって思っていてくれたようです。
そして、あんたに楽しい宴。
きっとどうしても行きたかったんだな。
どうしてもあの場で、一緒に肩組んで飲みたかったんだな。
だから、
魂が名古屋の会場に飛んできたんだと、私は思う。

でもね、伯父って、そんな人だったと思うんです。


伯父と娘


伯父は、母の義兄です。
母は3姉妹の真ん中。
そして、伯父伯母夫婦には子どもがいません。

伯父伯母は、甥姪を我が子と同様に可愛がってくれました。
今でもそう。

母は、他の2姉妹とは少し遠くに住んでいました。
でもね、私は伯父伯母の家が好きだったので、一人でも長い休みなどに、よく長期に泊まっていました。
夏には、従兄弟と一緒に、伯父に川に連れて行ってもらったりもしたな。
私は女の子だったので、少し伯父からは、距離感がわからないこともあったんだろうなと思います。
でもね、
娘が生まれて、特に1人目の娘は、仕事の時には伯母に預けることが多くて、伯父も一緒に面倒を見てくれました。
夏にはプールに入れてもらい、花火もよくした。
畑で一緒に作物を育てたり、落ち葉を拾ったり。

一生懸命に、写真を撮っていた伯父の姿がとっても印象的。

娘が、伯父との関係をさらに深く結んでくれたと思います。

よく伯母とも喧嘩していたのを隣で見ながら、晩酌に付き合い、笑い合っていた頃が懐かしい。

ゴールデンウイーク後、末期ガンと診断されてからは、できるだけ病院に付き合ってきました。
珍しく伯父が、嫌がらなかった。
とにかく、私は伯父の役に立ちたかった。
恩返しがしたかったんです。
自己満足みたいですが、なんでもしてあげられることはしてあげたかったんですね、私。
何を話すでもないけど、会いに行っては、「調子どう?」「おう」とだけ会話をしてみる。
そんなことを何回も繰り返してみました。

でもね、
子育て中の女性は、足手まといだなーって思うことが多い。
なんの役にも立たないどころか、時には、世話までかける。
悔しかった。
無力だなって思った。

その一方で、
娘たちは、伯父の力になってくれていたとも思うんです。
彼女たちが食べ物を運ぶと、美味しそうに食べてみたり。
体力がないはずなのに、抱っこしてみたり、写真を撮ってみたり。
伯母も、少し気分転換にしてもらえていたのではないかな・・・。



半年間、いろいろ後無理言いました。ありがとうございます。


この半年間、関係各位にはいろいろご無理言いました。
時には、付き添いのためなどで、無理な日程調整をさせていただくこともありました。
また、専門分野の皆さんには、とってもたくさんのお知恵と励ましをいただきました。
私はもちろん、伯母も、私たち家族みんながどれだけ救われたことか。
本当に、本当にありがとうございました。

この半年、
私は伯父に十分なことをしてやれただろうか、彼からもらったたくさんの感謝への恩返しができただろうか。
正直に、まだまだ整理できず、わかりません。

そして、とにかく残された伯母の力になってやりたいと、亡くなった後は、力不足ながら最後の奉公でした。
葬儀の間、娘は伯母のそばにずっと座っていてくれました。
彼女たちがいるからこそ、この2週間、伯母も騒がしく過ごしてくれるかもしれないですね。

5歳になるといろんなことがわかります。
娘たちに、何が起きているのかをしっかりと説明しました。
一番上の娘は、出棺の時、大きな声で鳴き出しました。
生前、病気発覚後、伯父は、「ういは今日は静かだったな」とよく言っていたそうです。
仏壇などを参る時などは、「伯父ちゃんが元気になりますように」って、祈っていました。
ういは、ういなりに察し、そして伯父を気遣っていました。

そして、
伯父の祭壇に向かって、御経を唱えるようになりました。
お坊さんの真似かもしれませんけどね、そんな姿に周りの大人はとっても勇気をもらいます。
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そんな気持ちが嬉しなって思うんです。

次女ここは、お葬式の最中、「こんなにうるさいと伯父ちゃんが起きちゃよね?」と言ってみたり。
朝、起きると、「おじさんの骨は起きたかな〜」と言ってみたり。
3歳の発想に、とっても和んでみます。

そんな彼女たちの姿を見て、大人たちは、和み、勇気をもらい、そして、日々の暮らしに戻っていけるように思っています。


伯父の生き方から学ぶこと


伯父が仕事の第一線から退いて、もぅ10年も経ちます。
しかしながら、葬儀には100名を超す方がお越しくださいました。
遠くは元勤務地出会った熊谷から。
元同僚の方や、飲み屋の友だちまで。

彼の人柄に惹かれて、利害関係なく付き合ってくれるたくさんの友人がいたんだと思います。

伯父がこの人生をどう感じていたのかは、わかりません。
何か大きな事を成し遂げるとかそういうことはありません。
とっても平凡なサラリーマン人生だったと思います。
でも、人を楽しませる、人のために一生懸命になれる彼の生き方は、自ら人に恵まれる人生になったんだと思います。

そんな伯父の背中を見て、私も彼のようでありたいと思う。



さて、いつまででも、いろんなことが手付かずではいけません。
これから年末、
来年に向けて、明日に向かって、巻き返していきたいと思います。
関係各位に感謝し、御礼申し上げます!
ありがとうございました!!
これからも伯母を支えつつ、支えられつつ、ともに頑張っていきたいと思います。