こんな3年前の下書きのBlogを発見しました。

タイトルは、
『努力が「かっこいい」社会へ』。
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「美のカリスマ」。
そんな特集を横目にしながら思う。

ここ数年、特に、子どもを産んでから、
自分を磨くことが少なくなった。

美容について何かしているんですか?
と、聞かれれば、
「何もしていないです」
が、誇らしいと思うこともある。

けど、何か違うなあと思う。
一生懸命、美容について考えること、・・・・

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どーでもイイ記事と思いながら、ふと思うのです。

なんとなく、子どもの頃から、
「努力しています!」って胸を張る事は恥ずかしく、
「努力なんてしていないよ」なんて言う方がカッコいい!
そんなインプットされていた気がしています。
わざと、努力していないフリ、一生懸命じゃないフリしたりして。

そんなタカシマは、小学校6年の時、担任の先生の一言が忘れられません。
「あなたは努力の人です。
 努力がなくなったら、何も残らない。
 だから、これからもしっかりと努力をし続けなさい。」

今思うと、先生からは、
いろんな事が透けて見えていたんだろうなあと思います。
とにかく、その時は失礼だなあと思いつつ、
先生の言う事を素直に受け止め、しっかりと胸に刻んだのです。



最近、ある方から言われました。

「努力をする」ということは癖。
努力をした事がない人は、努力できない。
仮に、大人になってから、いくらかスイッチを入れ替えたところで、
既に「努力をする」ということにカナリの差が出来てしまっている。
簡単には、その差は埋められない。

努力をするベースのある人、ない人、
そこには歴然とした違いがあるということ。


例えば、
試験前、勉強をするというのが当たり前の人、
この試験前の勉強を「努力」とは呼ばない。
しかし、試験前に勉強をする癖がない人は、これを「努力」と呼ぶ。
そして、勉強をすることが当たり前の人の「努力」とは、
その上で、さらに必死こいて勉強をする事をさす。

つまり、
単純に「努力」といっても
既に「努力」という言葉に差がある。


なるほどなぁ。

やっぱり思うんです。
まだまだ社会からしたら若輩ですが、
しかし、この年になったって常に勉強です。常に努力です。
この少しの努力の差が、
大きな成果の差を生む事は、身にしみて分かっています。

カッコいい先輩方、
輝いている先輩方は、
そもそも力もあるのに、その上で大変努力をされている。
そもそも力も足りないのにね、
まだまだ努力も足りないと思い知らされる毎日です。

改めて、
努力している、必死に勉強している、一生懸命やるコトって、
何も恥ずかしい事じゃなくて、むしろカッコいいコト!


子ども時代、なぜそうインプットされてしまったのか?
子どもの頃ってみんなそう思うのか?それは分かりませんが、
しかしながら、
やっぱり努力することは「カッコいい」のです。
一生懸命は、尊いのです。
子どもたちにはそう育てたい。
そして、改めて、
そういう社会であってほしいなあと思うのです。